屋台の太鼓を入れている高欄の四面に飾られている刺繍品を高欄掛といいます。
川村刺繍にて平成20年に新調。新調された高欄は図柄の周りを松の風景で囲い下方隅には、「南」、「中」の文字を刺繍しています。
屋台に取り付けられた高欄掛

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隠岐次郎左衛門広有の怪鳥退治
建武元年(1334年)秋、疫病が猛威を振るい夥しい死者が出た頃、紫宸殿の屋根に怪鳥(以津真天)が現れ「いつまで、いつまで」と鳴いて人々を恐怖させた。公卿達は源頼政の鵺退治にあやかり、弓の名手に退治させようと隠岐次郎左衛門広有に要請、鏑矢で見事怪鳥を仕留めた
正面
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西塔鬼若丸の鯉退治
ある時期、比叡山横川の池で身の丈八尺もある巨大な鯉が暴れ、女子供を食い殺し、人々を苦しめていた。それを聞いた鬼若丸は短刀ひとつ携えて池に飛び込み激闘の末、見事に鯉を退治した
裏正面
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源経基の龍退治
源経基(みなもとのつねもと)生没、未詳 清和源氏の祖、「霊魂滅するとも龍(神)となり西八条の池に住みて子孫の繁栄を祈るゆえに この地に葬れ」と遺言を残して没し、屋敷があった地に埋葬して六孫王神社が立てられた。 父、貞純親王(陽成天皇の弟)も、一条大宮の桃園池において七尺の龍となったと言われた。
右面
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和藤内の虎退治
義兄に援軍を請う為明国に上陸した和藤内が、途中千里ヶ竹(せんりがたけ)の藪の中で虎狩りの勢子の喧騒を耳にし、竹薮から飛び出して来た虎と取っ組み合う。大事を前に身体をいたわるよう母に諭された和藤内は、伊勢皇太神宮の御守りを頭上にかざして虎を睨み据える。
左面